日本の建築は風土に根差した様式が取り入れられている。亜熱帯気候の沖縄では台風や湿気が多いため住宅にコンクリートやタイルなどの頑丈な素材が使用されている。建物の躯体の壁や柱、床には簡易的な材料や本来の用途とは異なる素材を使用し、仮のオブジェクトを制作した。見慣れた景色の記憶の断片を喚起させながら、頑丈な建物でも一瞬にして壊れることがあるという日常の脆弱さをオブジェクトで可視化することを試みた。
東日本大震災による原発事故の影響で、福島には今も帰還困難区域がある。そして沖縄では本土復帰50年を迎えてもなお沖縄県本島の総面積の約14%の面積を米軍基地が占有している。両方の土地にはかつて家々が存在していましたが、追われた人々は次の定住先を探すほかなかった。
いつまでも続く当事者の不在。外在の影響を受けながら、それでもわたしたちが内在する「家」が“仮設”から立ち上がったとき、それは誰もが見たことがある共有できる「もの」から「記憶」として目の前に現れるのではないだろうかと思う。
Exhibition view
Exhibition view
トイレの床-考える時/アクリルウレタン樹脂塗料、木材 89.5×135×15cm
ペンキを数百回塗り重ねることによりタイルを表現した。
窓‐居合わせる‐/横滑り出し窓、水、アクリルウレタン樹脂塗料 46×45×12cm
壁-よく見る-/金網、LGS 180×150、LGSサイズ可変
柱-支える-/アクリル塗料、木材、コンクリートブロック、花ブロック 265×55×65cm
柱-支える-/アクリル塗料、木材、コンクリートブロック、花ブロック 265×55×65cm
タイル水色107角 L,R/アクリルウレタン塗料樹脂、木材
タイル水色45角 L,R/アクリルウレタン塗料樹脂、木材
展示に寄せて
土屋誠一(美術批評家/沖縄県立芸術大学准教授)
2022年10月
丹治りえの作品を、建築的な風景作品と呼んでみたい。そんな誘惑にかられる。
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丹治の作品を、そのすべてではないにせよ、建築的であると呼ぶことに、異論がある者は少ないだろう。展示空間のなかに、建物の一部分、エクステリアの場合もあれば、インテリアの場合もあるが、どこかから引用されたそれが、オブジェクトとして提示される。ゆえに、建築的な構築物ではあるもの、例えばランドアートの作品がしばしばそうであるような、土木的な手続きが踏まれているわけではないし、あるいはゴードン・マッタ=クラークのある種の作品のように、実際の建築の一部分を、切り出して展示する、というわけでもない。また、リレーショナルな作品がしばしば選択するような、仮設小屋を展示室の中であれ外であれ、建てることによって、その内部空間でのコミュニケーション行為を「作品」と呼ぶというものでも勿論ない。さらに言えば、例えばロバート・スミッソンのように、スペシフィックな「サイト」と、ニュートラルな「ノンサイト」との弁証法によって、二項対立を調停するのでもない。あえて言えば、どこにでもありそうな、ありふれた「ノンサイト」的な部分の提示から、少なからぬ人が連想的に、特定の過去に目撃した風景を想起させるような装置である、と言ったほうが、丹治の作品の特性を記述するには、そのほうが近いようにも思う。ゆえに、プルーストの『失われた時を求めて』のよく知られた記述、紅茶に浸ったマドレーヌの味覚から、コンブレーの幼少期の記憶が鮮やかに蘇るような、またあるいは、ロラン・バルトの『明るい部屋』で論述される、写真のノエマである「それは・かつて・あった」を指向するものであり、であるからこそ、ストゥディウムではなく、プンクトゥムを強調するようなもの、とも言えるはずだ。
建築家でもない限り、私たちは一般的に言って、建物の「全体」を一挙に把握しているわけではないだろう。把握しているものは例えば、キッチンの開かれた小窓から見える風景だったり、テーブルのちょっとした傷だったり、あるいは玄関や部屋のドアノブや鍵穴だったりする。よほどの豪邸や公共建築はともあれ、例えばnDKのさほど広いわけではない住宅に住んでいたとして、間取りの平面図は描けるだろうが、3次元的な空間の広がりを一挙に想起することは稀であるように思う。もちろん、そのような住宅内部で、道に迷うことはほぼあり得ないにせよ、上述したような空間の「フック」のようなものを辿りつつ、それらのミクロなフックを辿るようにして、住宅の全体「らしきもの」を、なんとなく把握しているのではなかろうか。案外、私たちは、そのような頼りない、儚い記憶を手掛かりに、生活世界を認識しているのではあるまいか。だからこそ、それらの些細な風景は、「懐かしい」。例えば、生まれ育って、今は離れてしまった家の鴨居のかたちがどうであったか、あるいは、かつての恋人と共に暮らした家の窓から見えた光景はどんな風だったか。懐かしさは、それが現在から遠く隔たったがゆえに起こる記憶の想起であり、だからこそ私たちの記憶に哀切を呼び覚ます。だから、丹治の作品は、確かに建築的ではある一方で、風景でもあるという両義性を持つ。 ロザリンド・クラウスは、その古典的な論文「展開された場における彫刻」において、彫刻を自明なものとして指し示すことが困難になったために、「建築」「風景」「非-建築」「非-風景」の四項によって、クライン群を構成し、「彫刻」がネガティヴィティ(すなわち非-建築、かつ非-風景)としてしか規定し得なくなったことを明らかにした。ここで注意をしておきたいのはそのことではなく、クラウスが「建築」と「風景」とが折り重なった状態の作品を、「場所-構築(site- construction)」と呼んだ点だ。具体的に想定されているものは、庭園や公園など、ランドスケープデザインのようなものであるが、これもまた、デザイナーは別として、人工的なランドスケープの各所に配置された様々なオブジェクトという「部分」の記憶のほうが、全体の印象よりも先行する事例だろう。先ほどの建物の例と同様、幼年期に遊んだ公園の遊具の記憶に、哀切さを感じることと、同じような現象が生じるはずだ。 福島に育ち、首都圏の美術大学を出て、沖縄の芸術大学に進学し、そのまま10数年来沖縄に活動の拠点を置く丹治は、彼女が常日頃実感しているという、寄る辺なさを主題として、作品制作を継続している。そしてそのような寄る辺なさは、10年強前に震災による大災害を受けた地に育った人間に特権的に蝕知できる感覚ではなく、多かれ少なかれ、誰しもが共有している、パーソナル・ヒストリーなのだと思う。私たちは、そのような寄る辺ない記憶を頼りに、なんとか「現在」の生の営みを継続しているのではないだろうか。このようなエッセイが、実際の丹治の作品を読解する際に、どれだけの有効性を持っているかどうかは、ぜひ展覧会場に足を運んで、検討してもらうことを望むものである。